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アレッツォ南、私達はそう呼んでる宿のお話

2016年01月18日 11:00

イタリアの街々。
その多くは、特に旧市街は昔のまま。
狭くて、ごちゃごちゃとしてて。素晴らしい教会や宮殿などが、ぎゅっと凝縮された
地域に点在している、観光するにはうってつけで、歩いて回れます。
しかし、一方で困りものとなるが宿探し。そんな旧市街でホテルを見つけることは
えてして困難なもの。
大きな街であれば、そうは言っても旧市街自体がそれなりに広い。例えば、島々の
全てが旧市街のベネチア。あるいはフィレンツェともなれば、結構大きな都市である
分、それはもう高明な観光地でもありますから、ホテルはピンからキリまでより取り
見取り。
あるいは、小さな街ではあるものの、周りに何も無い。それで、狭い旧市街ながらも
それなりにホテルが作られる(って言っても、昔の建物を使用するのであって、新たに
建物自体が建てられるわけではないが)。そんな街の代表格がサン・ジミニャーノ。
あるいは、私達が泊まったところでは、ルッカ。
それ以外は街の外に宿を求めることが多くなりました。前日のウルビーノがそうでした
が、この日も。そして、その後のペルージアやシエナなども。
しかし、あまり心配することはありません。街の外と言っても街=旧市街という意味で
あれば、旧市街が小さく狭いからホテルをその外になのであって、そこまでは歩いても
10分程度などでホテルを探すことも可能です。また、旧市街に入ってしまえば、反対側
の端まで歩いても、これまたしれたもの。
あるいは、この日のアレッツォ南というがごとしの、街から遠く離れた宿にしたからと
いっても、駐車場が街の外縁部にしっかりと備わった街を訪れる分には、さほどに不便
なことはありません。そのような街といえば、今回の旅だと、アッシジ、スポレート、
オリビエート、シエナそしてピサといったところです。
駐車場から街中まで少しは歩きますが、これも旧市街の外縁部からであれば中心部までは
しれた距離。たっぷりと食べて、食事も堪能する旅では歩くこと=運動も大切。

この日の宿は、アレッツォを出て国道沿いを南に下り、翌日に向かうアッシジとのいわば
中間点。目印はキロポスト。
キロポストって?最初は私達、ピンときませんでした。なんか表示が出ているようだが、
どんなもの?すぐに分かるかな?と不安な思いも。
でも、行ってみれば何のことはありません。何にも他に目印になるものが無いからこその
キロポスト(何キロの表示)を、(左折して)入れなわけで。すぐにそれと分かります。
それだけが忽然と立ってますから。
そして、道を入っていけば、その先にもあれこれのものがあるわけでありませんから、
それなりに着きます。
この時は、ただ一本道を進んでいく途中で、ちょっとした家の入り口らしきが。うーん、
ここかな?
一本道からそこへ入ってしまって、間違っていると後戻りが大変そう。ということで、
カミさんが車を降りて様子を見に行きました。
結果的には違ったのですが、そこの家のワンちゃんから大歓迎を受けそうになったそうな。
道を登ったはるか彼方から、カミさんを見かけた犬が、尻尾を振って駆けてくる。誰か
来たのー。嬉しいよー!と叫んでいる感じがありあり。余程に寂しかったのであろうけれど、
そんな勢いでこられた。結構大きい犬だし、押し倒されそうで、と。ご免ねと心の中で
呟いて姿を消したそうな。
途中、すっかり朽ち果てた家の傍を通り過ぎ。電線はその先にもいってるから、まだかな
と先へ進む。そうして到着した、いわば一軒宿。
元はドイツの方が経営する、日本で言えばペンションでしょうか。かなり立派な。
夏場はプールもやっていて、滞在型だから三食付きのフルボードもあり。私達は朝夕付きの
ハーフボードで利用しました。
夕食のメインは何品かの中から選べます。カミさんは味が安定した鶏料理。どこの国・地域
でも鶏肉は裏切らない。安心して食べられると、私達二人揃っての結論。そして、私は牛肉を
選び、これは地元のキアーナ牛かと拘って質問するものだから、笑われたりして。
その牛肉ですが、すっかりとイタリア化してゆっくりと食べてると冷めてしまいましたが、
冷めても硬くならない。聞けばマリネしているからのようで。なかなかに美味なる食事が
堪能出来ました。
ワインは飲みきれなければ、連泊だったら翌日の晩にどうぞ。あるいは部屋に持ち帰って
もいいですよとのこと。
観光名所をひたすら回る、どうしてもそんな旅になってしまうので、逆に滞在型でゆっくり
もいいねという話になると、アレッツォ南で寛ぎたいねというのが決まり文句になっている
私達でした。

言葉を覚える ショーペロ、それは...(サンセポルクロそしてアレッツォ)

2016年01月17日 11:00

ウルビーノの朝。
テレビを点ける。すっかりお馴染みのニュースだが、分かるのは天気予報と道路情報
(基本的に高速道路)。
そこに、映し出される、とある空港。確か、パレルモだったか。人っ子一人いない、
がらんとした待合室。アナウンサーが何か言っている。勿論イタリア語。全く分からん。
「テロでもあったのか?」と私。
その意味を後ほど知ることになりますが.....

何もわからないから、何も考えようもなく、何を心配するでもなく、出発。
今日はウルビーノから西へ、イタリア半島の真ん中、山の中なるトスカーナ地方へと
入っていく。それなりの峠越えで。
まず目指すはサンセポルクロ。それこそ小さな街(あるいは村)だが、かのピエロ・
デッラ・フランチェスカの名絵画の数々にお目にかかれる、それは素敵な場所。
そういえば、昨日の夕方の空は、正しく彼の絵に描かれたイタリアの空。その青さ
も夕焼けに染まる雲も。
街に到着し、無料の駐車場に車を停め、きっと昔のままであろう水飲み場の傍を
通って、ゆるゆると歩く。その先にある市立博物館目指して。
が、到着してみると、固く閉ざされた門。そこに何やら張り紙が。何か書いてあるが、
これまた分からん。
それにしても何で閉まってるんだ。開館時間はとうに過ぎてるぞ。仕方がないから、
大聖堂にでもと歩き出すと、親切なイタリアのおじいさんが話しかけてくる。
途方にくれてる感じがありありだったのでしょうが、これがイタリア人気質ってもの
でしょうか。普通にイタリア語で話しかけてくる。
「ショーペロ。」
なんですって?おじいさん、てな感じで戸惑う私達の様に、片言の英語?だったと思う
が(他にないし)、説明してくれました。そして、分かったのは!
「えっ、ストライキ!」
そうです、ストで機能停止の空港だったのです、あの朝のニュースで流れた光景は。

誰が、とういかどんな労働団体のストかは分かりませんが、お役所関係もアウトなの
でしょう。市立博物館は駄目。
で、とぼとぼと歩いていると、ばったりと出くわしました日本人のご夫婦に。私達より
やや年配。そのお二人は、電車・バスで回っておられるとのことで、
「バスも止まっちゃってるみたい。」
とのことで、かなり全面的なものらしい。

一頻りの会話の後、その日は金曜日で、週末前にトラベラーズチェックを現金にしとこう
と、銀行へ行きました。
が、ストで現金が運ばれてこないから駄目なのよ、ご免ね。
ここはイタリア、そんなの日常茶飯事ってなわけなんでしょう。ほんにあっさりとしたもの
言いであることよ。
後から思えば、イタリアって結構スト多発の国。アリタリア航空だってよくやってますし。
鉄道だって、教職員組合だって、ストっていやあストなんだよ。おれらの権利だぜ、要求
通すにゃ遠慮はしないぜ。
ってな感じでしょうか。こいつは仕方がない。

諦めて、アレッツォへと車を走らせる。
目指すはサン・フランチェスコ教会。その壁を飾る、ピエロ・デッラ・フランチェスカの
聖十字架物語を見る為に。
こちらは要予約。そう、パドバのスクロベーニ礼拝堂のように。
しかし、サンセポルクロの博物館など、ストで見られなかった分の空いた時間がたっぷり。
で、サン・フランチェスコ教会の真向かいの、結構有名なレストランへ。階段をちょこっと
降りた、半地下とまででも無くて外が見えるロケーション。
まあ、ゆっくりとお昼にしますか。
この日の昼食は、それこそゆったり、まったり、ほとんど2時間コースで堪能しました。
このイタリア旅行に来るまでは、旅の計画段階でお昼の時間は取るものの、いやー1時間も
食べてないよ、という認識。それこそ日本での普段の生活、特に仕事の時など、本当の
食事時間なんて下手をすれば15分程度。お店との往復時間を入れればそれなりかもしれ
ませんが、席に座ってる時間なんて。忙しいとデスクランチの時だって。
ということで、お昼に一時間も見込まなくたって、が結論。
あれも見たい、これも見たい。あっちも寄ろうよの、盛り沢山の計画。食べる時間を
惜しむわけではなく、そんなもんでしょ、だったのですが.....
イタリアもスペインほどではなくともシエスタの国。お昼時はしっかりとどこも閉まる。
それって、そもそも働く人々がお昼をゆっくりと摂る為。これは正にお国柄。そうなると
旅行者だってゆっくりとお昼をと、するしかなくなくなるわけで。そうです、郷に入っては
郷に従え。
このアレッツォほどではなくとも、既にベネチア、フェッラーラそしてウルビーノなどで
一時間コース(あるいはそれ以上か)のお昼を摂っていた私達。昼ワインも当然で。
知らず知らずと、イタリア化していたんですね、これが。

お腹の皮を突っ張らせ、ほろ酔いもあって目の皮をいささか弛ませて、それでも足取りは
しゃんとしてましたよ、あくまでも。と、サン・フランチェスコ教会へ。
が、ストの影はここにも忍び寄り、予約したのにと嘆くのは私達のみではない。
色んな国の人が、様々な言葉で嘆く、何とかならないのかと泣きつく。
すると、さすがイタリア。仕方ないですね、分かりました、と言ったかどうかは定かでは
ありませんが、見せてくれたんですよ。ほんの短時間ではありましたが。

ストで権利を主張もするが、情けもある。融通がきく。
ビバ・イタリア。
色んな意味でいい加減。それでいいんじゃないの、と納得。
何たって、ここはあの映画「ライフ・イズ・ビューティフル」の街ですからね。何事も
こうでなくっちゃ。
ということで、オチもついて、お後が宜しいようで。

山の向こうに 裏口から入ったウルビーノ

2016年01月15日 14:48

サンマリーノを後にして、ウルビーノへと向かいます。
一旦、海沿いに出てという高速使用のルートも考えましたが、海には出ずに山の中を南下
するコースにて行きました。海に出るのは遠回りですから、時間的には同じようなもの
だろうと考えて。
実際、時間的には同じだったかもしれませんが、思った以上にイタリアは山深いなと感じる
結果でした。山深いといっても、それ程の高い山があるわけではありません。山道?と
言っても、高い峠を越えるというわけではなく、小さな村あるいは街を結ぶ道を、多少
うねうねと、そしてぐるりと回り込みながら。
なんとかなく思い出すのは、日本だと中国地方。かつて、大学卒業に際し、山口県の大島
出身のサークル仲間の実家まで、延々と車で行った時のこと。中国自動車道で同地方の
山の中を走りましたが、果てしなく遠い。どこまでも山の中。
確か、百名山で有名な深田久弥氏が亡くなったのも中国地方のいわば低山。
横溝正史の小説の舞台にも何度かなった、山奥の時間が止まったような、だからこそ手毬唄
や落ち武者伝説なぞがはまる村が、今にも目の前に現れそうな雰囲気。
でも、ここはイタリアなんで、住んでる人はずっと明るいですけど。
給油で立ち寄ったガソリンスタンドで、崖下の川面に遊ぶ鳥の、のどかな風景を見せて
もらったりして。ほのぼのとした気持ちでウルビーノへ向かいます。

で、向かうのはいいけど、街は見えない。
なにせ山の中。街の姿が全くもって見えない。イタリア北部、ポー川沿いをちょこっとながら
巡ってきた後、サンマリーノからイタリア中部の山の中に入ったわけですが、想像した以上に
山深い。
その後も何度か、同じようなことがありました。地図は二次元の世界ですから、そりゃまあ
高さの表示もありますが、立体的には掴めない。あの頂きの向こうが、なんて具合には分かり
ませんから、結構、難儀なこともありました。
本当に直前になるまで街の場所が分からない。いつの間にか街の一部に入ってるんだが、
果たしてここは街の何処?あるいは、このウルビーノがそうでしたが、目差すホテルには
着いたけど(街の外にあるホテルなので)、で、街はどっち?
ってな具合。

一応、下調べそしてホテル予約の段階で、ホテルの場所も把握していればこそのホテル到着
ではありますが、さりとていつもそうですが、つぶさに分かっているわけでもなし。
ネットでとったホテルの場所を示す地図を頼りに街に向かいます。
それ程の距離ではないけれど、地図を片手にだと長く遠く感じるもの。この時は北側から
ウルビーノの街へ向かったわけですが、本来の表玄関は西側。先に街中を見て回り、その
表玄関に来てみれば、なんと違う街の景色。
表玄関からだと宮殿が見事に聳え立ち、すんばらしーと感嘆の声が上がるわけですが、何せ
北側は全くの裏口。城門の前の道、その反対側には人影もまばらな公園。
しかし、後から考えても不思議なのは、その北側の門が街の一番高い所になっている点。
大概、一番高い所にこそ宮殿あるいは城が聳えているのが定番では?街の防御あるいは最も
大切なものを、最も攻められ難い所に持ってくるのが定石の筈。
その時はそこまで思いもせず、坂道を下る。
イタリアの山の中の街ですから、どちらへ向かうにも坂。山や丘の上、あるいはそれらを
幾つか繋いで出来上がった街が多い。近世のイタリア統一まで、分裂して争いを繰り返し、
介入してくる外国勢もあって、戦いが続いた国ですから。守りやすい山の上に街が出来る。
戦国時代の日本も然り。日本の場合は、その後の平安な時代に、山城から平城へと移った
わけですが。
そのような分裂の歴史故に、地方色豊かな文化が食が、育まれ現代にも残っているのです
から、当時の人には難儀だったことでしょうが、後世のそれも旅人にとっては有意義な
歴史であることで。

宮殿
↑こちらが街の正面。ここから街に入るのが、いかにもであり、期待感も高まって良いでしょう。
裏から入っちまって、まずはメシっていうのは、私達らしかったかもしれませんが。

ここウルビーノで出会った一品もそんな歴史のなせる技なのか。
我ら二匹はそれを中華麺と呼んでいます。だって、本当に中華味だったから。見た目はパスタ、
中身は中華(見た目は子供、中身は.....って、名探偵コナン風)。
それにしてもコペルトで出てきた、何気ない小品が美味しい。
そして、昼間からワインを飲む。だって、ワインが安い。ここイタリアでは子供も飲む。水の
代わりに飲む。そう、場合によってはミネラルウオーターより安い。

宮殿を中心に、街を一回りしての観光。決して大きな街ではないので、2−3時間で十分。
で、その後は、ホテルに戻る前にお買い物。そうです、夕食を。お昼をしっかりと摂ったこと
もありますが、ホテルにはこれといったレストランが無かったのはチェック済み。また、
街に入る途中、ホテルからの途上でも、これといった食事処は目に入らずで、これもまた
チェック済み。なにしろ、食べることは重視してますから。
ということで、途中のパン屋さんに立ち寄りました。が、さすがここはイタリア、どれも
これもが美味しそう。思わず目移りして、どれにしようかと迷う。
いつもならすぐに決まる私までもが。どれにしようか迷いがちなかみさんはいつも通りと
しても、うーん、あれがいいかな、でもこれも美味しそう。と頭の中がぐるぐるしている
間に、並んでいた列は進み、私達の番。でも、まだ迷ってる。
と、待ちかねた私達の後ろの女の子が.....
が、その時。やはり若い店員の女の子が、それを制して、この人達が先だから。って、
イタリア語ですから正確に分かったわけではないけれど、その場の状況と店員さんの手振り、
対応で分かるものはわかる。
決められないから注文出来ない。だから、どうぞお先にと譲りましたが、きちんとしたもの
じゃないですか。どう見ても外人だけど差別もしない。いいねーイタリアは。
結構、イタリア人は親切ですよ。何かあると声を掛けてきて、なんだ何処に行くんだ、道が
分からないのか、おれが教えてやるって。それが、時には間違っていたりするんだけど。
親切心はあるけれど、そればかりが先に立ってる場合も。
まあ、国民性というか愛嬌というか。

夕焼けの空
↑ウルビーノでの夕焼け空。かの宮下先生がピエロの、という空の色も分かる気がしました
が、雲の下側だけがこんなに真っ赤に染まるなんて。日本の夕焼け小焼けとは随分違う!

翌朝、違う形でまたイタリア人気質に会いました。
山の上の街。その外縁を抜ける道もまた狭い。その路肩に止まった車の脇をすり抜けようと
したその時、うっかりとミラーを擦った!
感触として、明らかにやってもうたー!
音がする程ではなかったけど、これはいかん。車を降りて何歩か戻る。相手の車の傍へと。
そこに立つは40代でしょうか、とあるご婦人。
こんな時に出てくるのは、所詮、まずは日本語で「すいませーん。」
そして、英語で「ソーリー。」
だって、イタリア語は分からんもんね。
で、そんな私を訝しそうに見るご婦人。品定めする時と一緒ですね。頭の先からつま先まで
って感じで。
そして、判断は早い。はんっ!て感じの表情で、行っていいよとひらひらさせる手のひら。
本当にひらってこれのことね。
外人さんだね、こりゃー駄目だ、いいから行きなよって、言葉は分からずとも、これまた
分かるものはわかる。
再び、日本語と英語で、通じないだろうが無意識に飛び出す言葉。そして頭をちょこんと
下げて、その場を後にする私でした。
本当にすいません。そして、寛大なイタリアのおばちゃんに感謝。

しかし、その日は、大変だったんですわ、その後が。
朝のニュースでは、これは言葉分からないだけでに、分からんかったんですが。映像だけでは。
その示したものとは。それは次回のお楽しみ?


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