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ブエルタ・ア・エスパーニャで巡るスペインの旅(フィナーレ)

2007年09月23日 20:38

スペイン帝国、その短かった栄華

stage 21
拡大 ポルファボール!

さすがにマドリッド近郊の、それも幹線道路を塞ぐことはありませんでした。昨日のコースでは高速道路6号線自体ではなく、その測道が使われました。それにしてもメンショフは頑張りました。タイムトライアルは得意なわけではないようですが、首位を堅持して、もうこの最終日に不安はないことでしょう。

いよいよ最終日ですが、首都マドリッドの南西郊外、その住宅地を人々に晴れ姿をお披露目すべく
ぐるぐると回ってから中心部へと向かいます。そして、中心部でも目抜き通りを何週もします。今回の凱旋将軍はメンショフですが、かつてスペインが世界に覇を唱えた日の沈まぬ帝国であった時代には、正しく本物の凱旋の行列が見られたことと思います。
1469年のカトリック両王の結婚、それによるカスティリアとレオンの合同で産まれたスペイン王国ですが、グラナダ陥落でレコンキスタが完結したのは1492年でした。正にこの年がコロンブスによる新大陸発見の年であり、中南米に広大な領地を有することとなったわけですが、その後はフィリピンなどもその支配地に加えて行きました。その絶頂は1571年のレパントの海戦でのオスマン・トルコ艦隊に対する勝利であり、1581年のポルトガル王位継承ですが、それは先に述べたエル・エス・コリアルの建設者であるフェリペ2世の治世の下ででした。
しかし、その同じフェリペ2世の時、1588年に無敵艦隊と称されたスペイン艦隊が現フランス領であるカレー沖にてドレイク提督率いるイギリス艦隊に破れ、スペイン王国には早くも翳りが訪れます。まあ、それでも広大な領地を奪われたわけではなく、ハプスブルク家というヨーロッパの一大勢力ではあったわけで、そう簡単に没落とまではならなかったものの、歴史の表舞台には英仏といった国が立つようになっていきました。しかし、得てしてそんな時にこそ、王様達は趣味趣向へと走るわけで、くだんのエル・エス・コリアルに限らず、多くの絵画やアランフェスの宮殿など、後世の我々のような旅行者を惹き付けるものをそれはもう沢山、残してくれています。
私達もそれら素晴らしい芸術品を観賞させていただくべく、プラド美術館へと足を運びました。ツアーと違って自分達の気の向くままに見て回れるのは良いのですが、何しろ広くて素晴らしい絵画が沢山あります。さすがに疲れました。救いは、人波に揉まれるようなことはなく、気に入った絵はゆっくりと観賞出来、時にはソファーに腰を下ろして休みながらと、全くのマイペースでいられたことでした。なんと言っても入場料は当時で400ペセタ(約350円)と安いものでした。画家を目指す若い人達が模写に励んでいたりしましたが、画学生などには1年間いつでも入れる格安のパスなどがあったりするらしい。それもまた帝国の遺産ということなのだなと納得しました。
スペインが世界において支配的な地位にあった期間は決して長くないわけですが、その後の覇権国あるいはその地位を争った国々は厳格なカトリックの国であったスペインとは異なりました。王様の都合でカトリックから分離して英国国教会となったイギリス、あるいは新教徒と旧教徒の争いが激しかったフランス、そして新教徒の勢力が支配的となったドイツ。それらとの違いは教会建築に、その内装に、そして絵画にと、様々な分野で見られます。キリスト教という同じバックボーンを有しながらも多彩なヨーロッパ。私達?はこれからも機会があれば訪れたいと思います。皆様もどうぞスペインを、そしてヨーロッパの国々を旅して楽しんで下さい。

このシリーズはブエルタ最終日ということで本日で終了です。しかし、違うシリーズをこれよりはかなりゆっくりとしたペースとなるでしょうが(正直、レースを追っての毎日のブログ更新は大変でした)、これからもお送りしたいと思っていますので、今後とも宜しくお願いします。
アディオーーース  アミーゴス、 アスタラ ビスタ!
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