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ブエルタ・ア・エスパーニャで巡るスペインの旅(タホ河の流れ)

2007年09月19日 22:45

スペイン中央の山並みを越えて、タホ河へ

stage 17
かくかくだいだい...(?)

本日もまた昨日に引き続き、南から北へと北上するコースです。出発点の街シウダット・レアルは交通の要衝で、1997年のスペイン旅行では、マドリッドからアベ(AVE=スペイン版の新幹線)に乗り、ここを通過してコルドバ、そしてセビーリャへと行きました。が、それだけ。通過しただけです。見所はこれと言ってないと言うと、この街の人々から抗議されそうですが、そんな街が交通という点では重要です。
というのも、スペイン全体の地勢によります。第14ステージにムルシア州からアンダルシア州へと入った所で、グアダルキビール河について触れました。アンダルシア州の東端の源流地域から西へと流れ、コルドバからセビーリャ、そして大西洋へと注ぐスペイン南部で一番の大河です。スペインで最初のアベ(AVE)はその後半で正しくその流れに沿って走るわけですが、このように大きな河、そして鉄道が東西に走るのは、スペインの主な山並みが東西に横たわるので、それを縫っていくことになるからです。
となれば、南北に移動しようとすれば山越えになるのは必定。そして、本日のコースもまたそのパターン通りということです。今回、越えるのはトレド山脈(Montes de Toredo)です。高い山でも1千メートル台の前半ですし、元々がスペイン中央部は広々とした高台ですから、高低差ということではさほどではありません。が、昨日と同様にラマンチャの荒野ですから、その中でも山となると人と出会うのも、車とすれ違うのもまれとなります。
しかし、山を越えればまた河があり、街道が街があります。本日のゴール、タラベラ・デ・ラ・レイナはタホ河の河畔の街です。タホ河はスペイン中央部を流れますが、先のトレド山脈の名にもある通り、その山脈が東で尽きてタホ河へと落ちて行く所には、古都トレドがこの河により半周を囲まれるようにして佇んでいます。
ここはスペイン中央部なだけに、昔から争奪の地となってきました。レコンキスタにおいても数々の激戦が生じ、トレドを巡る攻防は長年に及びました。そんなこともあってでしょうか、そこここに今でも城跡が点在しています。

高速より

        マドリッドからタラベラ・デ・ラ・レイナを通る高速5号線から
        こんな城跡を高速からでも幾つも見掛けました

1997年のスペイン旅行では、中盤でマドリッドからレンタカーに乗りエクストラマデューラへ。メリダやカセレスなどを回った後、北上してカスティリア・イ・レオンのアビラやセゴビアへといったルートを採りました。まずは高速5号線で西へ向かいましたので、タラベラ・デ・ラ・レイナはその途中ではありました。そして、陶器で有名な街ですので器好きの私達としては興味があったのですが、大きな街は苦手なもので、高速をもう少し先に言ったオロペサで降り、エル・プエンテ・デ・アルソビスポというやはり陶器作りの街ながらこじんまりとした所に寄りました。付近には刺繍の村などもあり、それも兼ねてということでした。小さな街だと車を停める場所にも困らずに済みましたが、考えてみれば今よりもずっと適当に車を停めていたもので、それは私達が若くて無造作だったのか、それとも当時はよりおおらかだったのか、それはもはや謎ではあります。
その後、本日のコースとは逆に南下し、タホ河を越えてグアダルーペ経由でメリダへと向かいました。タホ河は陶器の街の町外れでしたが、橋を越えて南側へ行くと、単に街を出たというだけではなく、とたんに人家もほとんど無いただの野原となったのは今でも鮮明に記憶に残っています。本当に家も人もあまり見掛けず、すれ違う車もまれといったことになりました。ラマンチャの荒野、正しくその言葉通りの場所でした。

ブエルタも終盤戦。総合優勝争いはなんだか無風の感じになっていますが、ここらで荒野を疾走して主力選手による見応えのある戦いを見せてもらいたいものです。

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