スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

山の向こうに 裏口から入ったウルビーノ

2016年01月15日 14:48

サンマリーノを後にして、ウルビーノへと向かいます。
一旦、海沿いに出てという高速使用のルートも考えましたが、海には出ずに山の中を南下
するコースにて行きました。海に出るのは遠回りですから、時間的には同じようなもの
だろうと考えて。
実際、時間的には同じだったかもしれませんが、思った以上にイタリアは山深いなと感じる
結果でした。山深いといっても、それ程の高い山があるわけではありません。山道?と
言っても、高い峠を越えるというわけではなく、小さな村あるいは街を結ぶ道を、多少
うねうねと、そしてぐるりと回り込みながら。
なんとかなく思い出すのは、日本だと中国地方。かつて、大学卒業に際し、山口県の大島
出身のサークル仲間の実家まで、延々と車で行った時のこと。中国自動車道で同地方の
山の中を走りましたが、果てしなく遠い。どこまでも山の中。
確か、百名山で有名な深田久弥氏が亡くなったのも中国地方のいわば低山。
横溝正史の小説の舞台にも何度かなった、山奥の時間が止まったような、だからこそ手毬唄
や落ち武者伝説なぞがはまる村が、今にも目の前に現れそうな雰囲気。
でも、ここはイタリアなんで、住んでる人はずっと明るいですけど。
給油で立ち寄ったガソリンスタンドで、崖下の川面に遊ぶ鳥の、のどかな風景を見せて
もらったりして。ほのぼのとした気持ちでウルビーノへ向かいます。

で、向かうのはいいけど、街は見えない。
なにせ山の中。街の姿が全くもって見えない。イタリア北部、ポー川沿いをちょこっとながら
巡ってきた後、サンマリーノからイタリア中部の山の中に入ったわけですが、想像した以上に
山深い。
その後も何度か、同じようなことがありました。地図は二次元の世界ですから、そりゃまあ
高さの表示もありますが、立体的には掴めない。あの頂きの向こうが、なんて具合には分かり
ませんから、結構、難儀なこともありました。
本当に直前になるまで街の場所が分からない。いつの間にか街の一部に入ってるんだが、
果たしてここは街の何処?あるいは、このウルビーノがそうでしたが、目差すホテルには
着いたけど(街の外にあるホテルなので)、で、街はどっち?
ってな具合。

一応、下調べそしてホテル予約の段階で、ホテルの場所も把握していればこそのホテル到着
ではありますが、さりとていつもそうですが、つぶさに分かっているわけでもなし。
ネットでとったホテルの場所を示す地図を頼りに街に向かいます。
それ程の距離ではないけれど、地図を片手にだと長く遠く感じるもの。この時は北側から
ウルビーノの街へ向かったわけですが、本来の表玄関は西側。先に街中を見て回り、その
表玄関に来てみれば、なんと違う街の景色。
表玄関からだと宮殿が見事に聳え立ち、すんばらしーと感嘆の声が上がるわけですが、何せ
北側は全くの裏口。城門の前の道、その反対側には人影もまばらな公園。
しかし、後から考えても不思議なのは、その北側の門が街の一番高い所になっている点。
大概、一番高い所にこそ宮殿あるいは城が聳えているのが定番では?街の防御あるいは最も
大切なものを、最も攻められ難い所に持ってくるのが定石の筈。
その時はそこまで思いもせず、坂道を下る。
イタリアの山の中の街ですから、どちらへ向かうにも坂。山や丘の上、あるいはそれらを
幾つか繋いで出来上がった街が多い。近世のイタリア統一まで、分裂して争いを繰り返し、
介入してくる外国勢もあって、戦いが続いた国ですから。守りやすい山の上に街が出来る。
戦国時代の日本も然り。日本の場合は、その後の平安な時代に、山城から平城へと移った
わけですが。
そのような分裂の歴史故に、地方色豊かな文化が食が、育まれ現代にも残っているのです
から、当時の人には難儀だったことでしょうが、後世のそれも旅人にとっては有意義な
歴史であることで。

宮殿
↑こちらが街の正面。ここから街に入るのが、いかにもであり、期待感も高まって良いでしょう。
裏から入っちまって、まずはメシっていうのは、私達らしかったかもしれませんが。

ここウルビーノで出会った一品もそんな歴史のなせる技なのか。
我ら二匹はそれを中華麺と呼んでいます。だって、本当に中華味だったから。見た目はパスタ、
中身は中華(見た目は子供、中身は.....って、名探偵コナン風)。
それにしてもコペルトで出てきた、何気ない小品が美味しい。
そして、昼間からワインを飲む。だって、ワインが安い。ここイタリアでは子供も飲む。水の
代わりに飲む。そう、場合によってはミネラルウオーターより安い。

宮殿を中心に、街を一回りしての観光。決して大きな街ではないので、2−3時間で十分。
で、その後は、ホテルに戻る前にお買い物。そうです、夕食を。お昼をしっかりと摂ったこと
もありますが、ホテルにはこれといったレストランが無かったのはチェック済み。また、
街に入る途中、ホテルからの途上でも、これといった食事処は目に入らずで、これもまた
チェック済み。なにしろ、食べることは重視してますから。
ということで、途中のパン屋さんに立ち寄りました。が、さすがここはイタリア、どれも
これもが美味しそう。思わず目移りして、どれにしようかと迷う。
いつもならすぐに決まる私までもが。どれにしようか迷いがちなかみさんはいつも通りと
しても、うーん、あれがいいかな、でもこれも美味しそう。と頭の中がぐるぐるしている
間に、並んでいた列は進み、私達の番。でも、まだ迷ってる。
と、待ちかねた私達の後ろの女の子が.....
が、その時。やはり若い店員の女の子が、それを制して、この人達が先だから。って、
イタリア語ですから正確に分かったわけではないけれど、その場の状況と店員さんの手振り、
対応で分かるものはわかる。
決められないから注文出来ない。だから、どうぞお先にと譲りましたが、きちんとしたもの
じゃないですか。どう見ても外人だけど差別もしない。いいねーイタリアは。
結構、イタリア人は親切ですよ。何かあると声を掛けてきて、なんだ何処に行くんだ、道が
分からないのか、おれが教えてやるって。それが、時には間違っていたりするんだけど。
親切心はあるけれど、そればかりが先に立ってる場合も。
まあ、国民性というか愛嬌というか。

夕焼けの空
↑ウルビーノでの夕焼け空。かの宮下先生がピエロの、という空の色も分かる気がしました
が、雲の下側だけがこんなに真っ赤に染まるなんて。日本の夕焼け小焼けとは随分違う!

翌朝、違う形でまたイタリア人気質に会いました。
山の上の街。その外縁を抜ける道もまた狭い。その路肩に止まった車の脇をすり抜けようと
したその時、うっかりとミラーを擦った!
感触として、明らかにやってもうたー!
音がする程ではなかったけど、これはいかん。車を降りて何歩か戻る。相手の車の傍へと。
そこに立つは40代でしょうか、とあるご婦人。
こんな時に出てくるのは、所詮、まずは日本語で「すいませーん。」
そして、英語で「ソーリー。」
だって、イタリア語は分からんもんね。
で、そんな私を訝しそうに見るご婦人。品定めする時と一緒ですね。頭の先からつま先まで
って感じで。
そして、判断は早い。はんっ!て感じの表情で、行っていいよとひらひらさせる手のひら。
本当にひらってこれのことね。
外人さんだね、こりゃー駄目だ、いいから行きなよって、言葉は分からずとも、これまた
分かるものはわかる。
再び、日本語と英語で、通じないだろうが無意識に飛び出す言葉。そして頭をちょこんと
下げて、その場を後にする私でした。
本当にすいません。そして、寛大なイタリアのおばちゃんに感謝。

しかし、その日は、大変だったんですわ、その後が。
朝のニュースでは、これは言葉分からないだけでに、分からんかったんですが。映像だけでは。
その示したものとは。それは次回のお楽しみ?
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)


    最近の記事


    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。