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大満足、ハビエルのホテル

2010年07月05日 13:14

山中の修道院 と 荒野に建つ城
(スペイン旅行三日目の午後、ハカからハビエルへ)

ハカの街を後にして、私達が次に向かったのはペーニャの修道院(Monasterio Natural de San Juan de la Pena)です。ハカからは国道240号を西へ、暫く走ると左へ曲がれと案内が出ます。
国道からそれてセロス(Sta. Cruz de la Seros)の街を過ぎて、山道を6kmほど走った先にあります。セロスにもなかなかラブリーな、つまりはこじんまりとして素朴な教会があり、ちょっと寄っていきました。
思った以上の急な坂道を上り、あっという間に山の中。さっき通ったセロスの、教会の大きさにぴったりの小さな町並みが、見る間に眼下の存在となります。山自体はそれほど高いものではありませんが、急峻で険しさがあります。

ペーニャの案内板

↑セロスの街の、可愛らしいペーニャ修道院の案内板で、シエスタで一旦閉まるのが解る。

修道院も後世になると、平地にそれは立派なものが建つようになるものの、初期のものは正しく隠遁生活の場。わざと人里離れた場所に、それも修行の場ですから質素なものが建てられたわけです。それも、ペーニャの修道院は岩をくり抜いて建てられたというのですから...
スペイン観光局でもらったピレネー地方に関する資料に修道院について記載があるのを見付け、ネットで簡単な記述を探し当てではありましたが、基本的なことは解っていました。なので驚きまではありませんでしたが、やはり実物をこの目で見ると全く感じ方が違います。
日本でも箱根駅伝で函嶺洞門は岩を削って大変苦労して...と毎回、紹介されますが、実物を真近に見るとそれはもう随分と苦労して作ったのだろうと実感します。函嶺洞門は確か3年がかりでしたっけ、とすると、これは?
なかなか大したもんだ。でも、観光客はおれら3人だけだもんね。それも、路肩に駐車しろとの指示ながら、狭い山道なのでUターンもままならずで、先の方で広い所探して方向転換して戻って来るよと、更に山の上へと車を走らせたかみさんはいつまでたっても戻らない。結構、それなりの観光地かと思ってやって来ましたが、なんとも寂しいもんだ。
結局は山頂まで行かされるはめになったかみさんが戻り、さあどうしようかと思いつつ、取り敢えず道から上がってみる。未だシエスタの時間は終わらずで、入り口の鍵は閉まったままで中にははいれません。が、見えるんですねこれが。中というか、崖をくり抜いた空洞のようなものですから、そこを壁で囲うまでではないので庭とか床の部分とかの作りがほとんど丸見えでした。
で、後からちょっとした集団がやっては来まして、ガヤガヤと中に入って行きました。一応、それなりの入場料を払って。でも、もう大体は見えたからいいかと、淡白なところを発揮して引き上げる私達3匹でした。

ペーニャ修道院

↑ペーニャ修道院。右側に見える階段を上がって行くと、中が丸見え。レンガの建物も付属して
いて、入場料を払えばそちらも見れる。


その後はひたすら今夜のホテルを目指すのみ。ハビエル城の目の前らしいので、迷うこともないでしょう。
距離は70kmくらいのもので、一般国道といっても日本と違って信号はなく交通量も少ないのでスムースなのですが、なにしろ荒野の中をひたすら走っていると広大で、とても遠くまで行くような気分になってきます。国道240号線の南側は川を塞き止めた巨大な湖で、そこに注ぎ込む川が形成する谷を何回も越えつつ、その淵を走り続けます。
途中、道の正面に、その山頂に街を乗せた山が現れます。荒野の中で防衛上のことからすればそれこそ他に無い立地ですが、こつ然と姿を表すものですから、皆でそろって「オーっと」声を上げました。この自然、この風土、それがスペインなんだとまざまざと感じさせられる一コマでした。

ハビエル案内板

↑これだけ大きい看板も出て、迷うことなし!ハビエル生誕500周年ということらしい。

そうこうするうちに、湖を離れ、国道240号線からも南へと離れ、ハビエルの街へ。
ところで、ハビエルって何だか聞いたことがある気がしませんか?そうです、歴史で習うフランシスコ・ザビエルの誕生の地なのです。イエズス会の宣教師として日本にやって来たザビエル、本当はハビエルと読むのですが、この地方の領主の息子として生まれた立派な貴族の一員だったのです。
で、荒野に建つハビエル一族のお城は、領地一帯を全て見下ろす立派なものです。何しろ、周りには何もありませんから。日本のような緑に恵まれた国で育つと、乾燥した荒野というものは想像し難いかもしれませんが、山も裸、川があっても木はその畔にちょっとだけなので、遮るものなど何もなしです。
そんなハビエル城の目の前に今夜の宿はありました。
ネットで見つけたのですが、1泊2食付きで一人EUR45.70.-は超お得。早速、メールで予約を入れましたが、答えが返って来るまで何日待ったかな。と、まあのんびりスペイン時間そのものでしたが、着いてみてその訳が更にはっきりと解りました。要は英語の解るスタッフは何人も居ないのです。
ネットの使い勝手はどんどん上がっていて、直近ではホテルの予約も大方は定型の予約フォームがあり、部屋のタイプや朝食などの食事をつけるか否かなど選択していくものが増えています。が、この時はまだメールで予約をだったので、ホームページには英語もあったしで英語で書きました。が、それだと英語が解るスタッフが来るまでは放っておかれてしまうのでした。
部屋は特別な感じはありませんが、清潔でおしゃれ、お城が窓から目の前に見えるのがGood! 勿論、お城に行ってたっぷりと堪能してきました。ハビエルさんとその一族のお話や日本に来てからのことなど。
夕食は、ワインとミネラルウオーターこそ別でしたが、料理はメニューの中から前菜と主菜それぞれに好きなものを何でも選んでいいよと、何とも嬉しいじゃありませんか。ワインだって、これから行く先のイラチェの醸造ものを選びましたが、ホテルで飲んで一本EUR14.70.-は良かったですよ。ホテルやレストランだとやたら高い値段を日本では付けられたりしますが、そんなことも無いわけです。
お昼を軽めにしておいて大正解で、しっかりと美味しい料理とワインをいただきました。

イラチェワイン
↑イラチェの醸造所は巡礼路上にあるが、ある点で有名。そのお話はそこへ行った時の回で。

ハビエルの前菜
↑前菜のサラダには魚のパテも付き、女性にとってはそれなりのボリューム。

ハビエルの主菜
↑主菜も銘々が好きなものを。これはカレイだったかな。他の二人は鱒とステーキを食べました。

ところで、このハビエルですが、2006年当時はスペインの不動産ブームは真っ盛りだったのだと、今にして思います。
と言いますのは、何しろ荒野というか、ほとんど砂漠のような土地にお城と同様にいきなりの新興住宅地が存在しました。まだ区画が作られただけで空き地の目立つ中に、いかにも新築ですといったパステル調の家がポツリと、あるいは数軒固まって建っていました。何度も言いますが、本当に周りには何も無いので、そこだけがやたらに目立つのです。
スーパーも、病院も、学校もなーんにもありません。ヨーロッパならどんなに小さな村にだってある教会だってありゃしません。そんな所で暮らすのってどうかと思いますが、ローンを組んだ皆さん、昨今の不況下でもお元気ならいいのですが。
スペインの栄枯盛衰を見てきたであろう、ハビエル城、その一族のお膝元で、またもや悲喜劇は繰り返されているわけです。これもまた歴史?でしょうか。
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