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ベルギー総集編

2009年11月02日 16:37

ベルギーの旅は終わり、最後にちょこっと寄ったパリ北駅で、次回はフランスかな?と呟きましたが、ベルギーを振り返ってポイントを。

アムステルダムの中央広場

↑外カフェはヨーロッパ旅行での何よりのたのしみ(アントワープの中央広場にて)

治安:ブリュッセル南駅近辺が唯一、治安に不安を感じた場所でした。人種や宗教で差別をするつもりは毛頭ありませんが、旧植民地の関係や積極的な移民政策によるのでしょう、黒人やイスラム系の人などが目立つその地区は、昼間でもちょっとという感じです。
ベルギーの至る所で工事が多かったものの、この地区では再開発というより捨て去られたビルをなんとか綺麗に作り直しているといった印象でした。道を歩いていても今一つ落ち着かないというのが正直なところで、夜は避けた方が良さそうに思われます(この近辺のホテルに関するコメントで治安が悪いというのが目立ったのも頷けます)。
リエージュで、市庁舎とムーズ川の間辺りは下町という感じですが、ちょっと近付き難い雰囲気がありました。相棒2人がへたって、私一人がレストラン探しでちょっとだけ歩きましたが、一般の旅行者が足を向けることはないと思われ、ここは気にせずとも良いでしょう。
それ以外では、特に地方は全くですが、これといって不安なものは感じることはありませんでした。リエージュにしたところで、上記の一画を除けば夜でも怖い事はないでしょう。私達は夕食の後、20分と少々、歩いてホテルへ戻りましたが、表通りだったからとはいえ物騒な気配は微塵もなかったです。
それでも心配な方は、日が長い季節に行かれて、人通りの多い所でだけ行動されれば安心でしょう。もっとも、田舎町では人通り自体がなかったりするかもしれませんが。

ギルマンズ駅

↑そこら中でやたらと工事をしていて、リエージュのギルマンズ駅も全面改装中でした。

物価:現地の庶民が暮らす上でのことは別として、旅行者にとっては物価が高い国と言えます。今回は1ユーロが135円程度でしたが、レストランでの食事や美術館等の入館料などは、この為替レートで日本と同程度か少し高いかなといった感じです。数年前には160円台がありましたが、そのような時に行ったら辛いなと思います。
ただ、旅行は工夫次第なので、以下の点を心掛ければベルギーの物価水準はそれとして、中味の濃い旅行が楽しめるでしょう。
まずはホテルですが、中級以下、つまりは3つ星以下の手頃なホテルをこまめに探すことです。日本よりもはるかにホテルの数は多いと思われ、多少は駅から離れていても良しとするとか、寝るだけなら部屋は清潔ならばと割り切るとかすれば、選択肢はかなり広いものとなります。そのうえで、ホテル自体あるいは予約サイトなどで、割安なプランを探しましょう。
次に列車を使う場合ですが、週末料金などの設定や往復での割引などで、通常料金よりもかなり安くなる場合があるようです。私達の場合は日曜日にブリュッセルからアントワープを往復した時がそれに当たっていて、他の時の料金と比べて随分と安くなってました。
あとは、街によっては見所の多くをカバーする共通割引券があったりしますので、上手く利用することです。

チーズの山

↑色んな種類のチーズ。値段は1KG当たりだから、日本と比べると随分と安いね。

食事:ベルギーは美食の国ということへの答えですが、実をいうとちょっと違うかなというのが結論です。美味しい物が味わえかったわけではありませんが、美食の国というよりも食事を楽しむ国というのが正解のように思われます。
何よりもレストランの数が多い国です。そして、レストランで食事を楽しむ人達もまた多い。
勿論のこと中には高級レストランもありますが、それよりも一定水準以上のレストラン(あるいはブラッセリー)が揃っていて、そこでの食事をベルギーの人々は頻繁に楽しんでいるということと私達は受け止めました。そのようなレストランでのメニューはさほどに特別なものではないけれど、何を頼んでもしっかりとした本物の味が楽しめるわけです。
それは他の西欧の国も同じかと思われすが(イギリスは除いて)、考えてみれば米国式で日本でも蔓延っている外食チェーンはほとんど見掛けません。全く無いわけではありませんが、実に少数でファミレスなどまずもって目にとまることもありません。
美食の国というよりも、美味しい物が常食の国と言っておきましょう。

チョコと苺

↑ベルギーチョコは有名だが、5-6月なら苺もいいよ。これだと一度に両方味わえる。

デザート色々

↑食後にコーヒーを頼むと色々なデザートが付いてくる。特にフランス寄りはかな?

観光名所:美しいお城やその庭園、立派な教会や風情のある街並。ベルギーにも素晴らしい所は沢山あります。しかしながら、イギリスやスペイン、オーストリアあるいはイタリアなどと比べると、正直なところ今一つの感が否めません。
何故だろうかと考えてみた末、次の結論に達しました。
ベルギーには栄光の時代が無かった。先に名前を挙げた国々には、世界に覇を唱えた栄光の時代がありました。イギリスとスペインは正しく覇権国であったことがあり、オーストリアはそこまでではないもののハプスブルグ家の栄光に翼し、あるいは世紀末芸術では世界の中心となりました。イタリアは古のローマ時代にあっては、当時の西欧にとっての全世界の覇者であり、ルネッサンスでは芸術で覇を唱えました。
それからすると、ベルギーは長らくどこかの国の一部であったり、強国が奪い合う土地でした。独立後のベルギー王国としての歴史も決して長くはなく、富の蓄積や文化・芸術といった点でちょっと見劣りするかなとなるわけです。
それでも、毛織物等で栄えたフランドルの諸都市(ブルージュがその最たるものですが)やそこで花開いた芸術(ルーベンスやブリューゲルなど)といった、いわば点としての栄光はあります。しかし、国全体としての面となるまでのものはなかった。
それ故、華やかさや規模といったところでは、お城や王宮等の壮麗さが、かの国々には及ばないわけです。

となると、ベルギーは今一つだったわけ?
と思われることでしょう。一面ではYesですが、やはり最終的な答えはNoです。
もっとも、それは私達が田舎好きで、のんびり派だからかもしれません。人で一杯の観光地が嫌いで、並ぶのは嫌。特に並んでまで食べるなんて考えられない。
といったことからすると、人によっては今一つというかもしれないような、ちょっと小振りで良く言えばラブリーな田舎のお城が実は好きというか、私達にはお似合い。展示にもっと工夫が必要だろうなどと文句を付けつつ、ゆっくりと見れてマイペースで過ごせるのがお気に入りだったりもする。
第一、食事だって気取らないのがいい。はなから高級レストランなどそうは行かないけれど、それにしても庶民派といった感じのごく普通のレストランで、それも結構普通のものだけど上手い!
そして極め付きは、ビールが最高!腹にたまることなく、食前でも食事中でも、なんなら食後でも飲める。それも色んな味があるので飽きがこない。
で、結局どうなのよ?となりますと、国の大きさ故にある程度は回れたので、ベルギーだけでもう一度というのはないでしょう。イタリア、スペインそしてドイツなどとなると(それとまだ言ったことはないけどフランスも)、とても一度の旅行では回りきれないので、また行きたいねとなります。それと比べるとなのですが、もう一度ということにはなりません。ただ、近くの国への旅行となって、なおかつ時間が許すならちょっと行きたいよねという気持ちはあります。
あれこれと見て回りたくなるので、行った先の国の中でうろちょろでしょうから、とてもそんな時間は生まれると思えませんが、ベルギーよ待ってておくれと、心の中では呟いております。

ビール色々

↑ベルギーと言えばやっぱりビールかな。皆で色んな種類のビールを楽しもう!

さて、これをもってベルギーの旅の報告は終了です。
まだ、いつからになるかは未定ですが、次回からはバーモス・スペインの続編で、サンチャゴ・デ・コンポステーラへの道をお送りしたいと思います。2007年のスペイン北部の旅のレポートとなりますので、ご興味のある方はまた宜しく。
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タリスの不思議 と エピローグ(パリ北駅にて)

2009年10月29日 23:29

ブルージュとその周辺を満喫し、ベルギー最終日はブルージュで昼食を摂った後、パリ北駅へと向かいました。翌日にはパリのシャルル・ドゴール空港から成田へと飛ぶ日程で、万が一にも電車の遅れ等でフライトに間に合わないといったことが無いように、前日のうちに空港の近くまで行っておこうという考えでした。

実際、そうしておいて良かったなと思わされる事態となりました。
ブルージュから、まずはブリュッセル南駅へとIC(インターシティー)の急行で移動、そして、そこからパリ北駅までのタリス(TGV)は既に日本で予約を取っていました。
時間に余裕をもってブリュッセル南駅に到着し、さてタリスの時間を確認しておこうとすると、私達が乗車予定のものより一本前のタリスの発車が遅れています。まあ、日本と違ってヨーロッパでは多少の遅れは当たり前と、ホテルもパリ北駅のすぐそばに取っているので、慌てはしませんでした。
いささか時間は持て余しましたが、連れの二人が料金EUR0.30の駅構内の有料トイレに行ってきて、コインしか使えないものだから地元の人も細かいのが無くて困ってるとか、そんな話題で過ごしていました。

タリス

↑赤い車体ですぐにそれと解るタリスは、主にパリ・アムステルダム間を走る。

さて、遅れていた一本前のタリスもなんとか発車し、タリス専用ホームへと私が様子を見に行くと、乗車予定のものと思われるタリスが入線しています。待合室の二人に声を掛けて、では乗りましょうかとホームへ上がりました。
なんだかごった返してるなあと思いつつ、切符を確認して乗車口に向かいます。と、そこに立つ鉄道の乗務員。
初日にパリのシャルル・ドゴール空港でTGVに乗った時にもそんなことはなかったのに、乗務員が一々、切符をチェックしています。それも、あんたは駄目だよと、何が理由か解りませんが乗せてもらえないでいる人達がいます。
なんだ?と解せない無いながらも切符を見せると、乗務員は笑顔で、どうぞと手を乗車口へ振り、私達を車内へと誘いました。その間も、その同じ乗務員に手に持った切符を示す人々が。
それにしても訳が分かりません。
重い荷物をなんとかそれなりの場所に置いて、席に落ち着いてからも、乗車口を眺めていると何やら押し問答が繰り返されます。そんな調子なので、乗車口の辺りはいつも人で一杯で、身振り手振りに時にはやや大きな声も混ざってのやり取りが続き、なんとも騒がしい。
中には、乗ったもののドアの近くで立ったままの人も何人かいます。立ち席?それは無い筈ですが、どうなってるの?
前のタリスもですが、私達が乗ったタリスもこれでは当然に発車時刻から遅れます。日本の新幹線のように、ピーク時にはそれこそ10分間隔もあるかどうかの運行状況からは、とても考えられない状況です。
自動改札があるからなのか、新幹線では切符の確認は乗車後なわけですが、それならタリスは専用ホームなのだから、そこだけでも自動改札を導入したらどうなのでしょう。そういえば、テロの影響によるようですが、スペインのAVE(アヴェ)では飛行機に乗る時のようなチェックが荷物検査も含めて行われるようになっています。
あるいは予約システム自体に問題があるのか?
そんなことばかり考えている間に、遅れていたタリスもようやく発車です。30分以上も遅れたのですが、真相は未だに不明です。乗車口付近に居た人達もそれなりに席に座ったので、やはり立ち席は無い訳ですが、逆に全席指定なのになんで乗車口であんなことになるのか不思議でなりません。
誰か知ってたら教えて下さい。

さて、この遅れの影響は私達には特段ありませんでしたが、付近の席に座った、とあるビジネスマンにとって大有りでした。
奥さんだか恋人だか解りませんが、待ち合わせ相手の女性から彼の携帯に電話が。
最初の電話に、電車が遅れてしまって、でも❍❍時頃には着くと思うから待っててね(英語なのでそれなりに聞き取れました)と答える彼。暫く後、またもや鳴る彼の携帯。そして、同じことを伝える彼。待ち合わせの場所の確認か?と私達。
それで終わりかと思いきや、またもや鳴る携帯と、これまた同じ説明を繰り返す彼。なんだか五月蝿い女だなと、彼への同情かはたまた単に電車内で携帯で話すマナー違反への怒りか、口を揃えてののしる私達(回りに日本語が解る人が居るとは思えないので平気)。
しかし、このことは一体、何を意味するのか?
タリスが遅れることは滅多にないので、待ち合わせ相手の女性が何かを疑っているのか?
それとも、とても心配性の女性で彼のことを気遣っているのか?
一応、そんな答えも頭の中では用意してみましたが、単に五月蝿い女なのだという結論は当初より変わらないのでした。あくまでも一般論ですが、フランス女は愛してるとかかんとか、一日に何十回も男が言わないと満足しない要求過多で、相手をするのが大変ということです。だって、くだんの彼も、電話口の向こうへと、傍目にも明らかな苛立ちをなんとかこらえてダーリンと繰り返してましたからね。

そうこうしているうちに、流石は高速列車で、あっという間にパリ北駅へ到着です。
それにしてもなんだここは!
単にごった返しているというだけではなく、浮浪者というか、なんだか危ない感じの連中が。その間を縫うようにして巡回するのは警官ではなく、自動小銃を持っているので兵隊か?なんとも物騒で、治安が悪いを通り越して、もはや近未来映画で目にする、ブルースウィリスとかが悪態つきながら歩き回る世界のようです。
私達としては単に翌日の空港への足場として、TGVの到着駅であり、地下鉄等でシャルル・ドゴール空港へ行き易いという理由から、パリ北駅至近のホテルとしただけです。観光の足場としてはおよそお勧め出来る立地ではありません。
それでも、食事は良かったですよ。ということで、駅近辺の雰囲気は最悪ながら、私達にとっては最も重要な食において、フランスの印象は大いに高い点を得るものとなりました。
何がそんなに?と言いますと、実はバターなのです。別段、ベルギーのバターが美味しくなかったというわけではなく、どのホテルでも朝食で普通にいただいていました。が、パリ北駅の目の前のレストランで夕食を摂った際に出てきたバターは、全くの別物でした。違ったのは主に塩味ですが、味の深さが各段に上で、思わずバターをおかわりと言いたくなる程でした。
また、海の幸を盛り合わせでいただいたのも良かったですが、すぐそこで手作りされるデザートにフランスを感じました。かみさんは日本で食べたことはあるけれど、本場のは絶対に違うと言って、是非にとオーダーしたのはクレープ・シュゼットです。その期待は見事に的中!
そういえば、フランスにほど近いブーヨンで、火が燃えたまま供されたクリーム・ブリュレにこれぞ本場!?と喜んだのが思い出されます。
クレープ・シュゼットも、勘定書にはクレープ・フランベとあるように、最後は火をぼあっと目の前で上げて仕上げです。なんだか、うちのかみさんは食の拝火教徒かと思われてきますが、いずれもフランス物ということでは隠れフランスファンか?

ベルギーは美食の国、それは確かでしたが、フランスもいいねー。
ということで、次はフランスか、と心中秘かに思ったのは私だけだったのでしょうか。

パリでの食事

↑6月に牡蠣?と思われるかもしれませんが、岩牡蠣は夏場がシーズン。

パリでのデザート

↑席の直ぐそばに来て、ワゴンの上で作ってくれます。うーん、これがまたもや本場!?

ブルージュを起点に② ~オステンドより、進路変更~

2009年10月26日 22:27

ブルージュからちょっと足を伸ばすということでは、オステンドは電車で僅かに13分と、実に近い街です。ブリュッセルからきてブルージュを通る鉄道の幹線の終着駅ですので、電車の本数もかなりあります。

オステンドの魚市場

↑オステンドの港の脇にある小さな魚市場。魚の種類はさほど多くないが、新鮮だよね。

ただ、行ってみると、それほど味わいがあるわけでもありませんでした。
海浜リゾートとして発達したという経緯から、中心部にはそれなりの古い街並もないわけではありませんが、ホテルやリゾートマンションの方が目立っています。ヨーロッパらしさとして、教会や歴史ある建造物などを求める場合には、正直に言ってあえて訪れることもないでしょう。
その場合は、かつてブルージュが商都として栄えた時の外港である、ダムの方が良いと思います。船で往復というのも楽しそうですし(バス便もあるようですが、いずれの場合も限られた本数なので時間には気を付けましょう)。
では、何故、私達がオステンドを訪れたかといいますと、そこから海沿いにデ・パネまでトラムが走っており、その沿道沿いに良い所があるのではと思ったからです。海ということでは賑やかなのは夏でしょうが、引退したベルギーの人達にとってこの海沿いで暮らすのはひとつの憧れとか。
それなりに余裕のある人達が暮らしているのなら、食べる所などもそれ相当のものを見付けられることでしょう。それに、何と言っても海の物に期待。だって、この旅行でここまで海産物はそれ程には口にしてこなかったのは、新鮮なものを海沿いでと最初から計画してきたからなわけで。

ブルージュからすぐのオステンドですから、一回り街をぶらついたところで、まだお昼には間がありました。とはいえ、事前準備とばかりに港の近くの小さな市場を覗いたり、道沿いに並び始めたシーフードの屋台をひやかしたりして、それとなく旬のものは何かと当たりは付けました。
そして乗り込んだトラム。
事前に得ていた情報は、単にトラムに乗ればデ・パネへ抜けること。そして、デ・パネからは、またベルギー国鉄の路線があってブリュージュに戻れること。それだけですから、要は行き当たりばったりだったとわけです。
さーて、どこか良さそうな所はないかな?なにしろ、トラムとは即ち市電ですから、ゆるゆるとした走りで、沿道をゆっくりと観察出来ます。
が、行けども行けども、食指を動かされるような街には出会いません。あるのはただ新旧のリゾートマンション、それも結構、空き室有だったり、新築だけどそれ程には売れていなそうだったり。なんだか、前回に書いた景気減速の影響がここにも、の感です。
それにしても、高齢者が多いのは確かでした。トラムに乗っている人の大半は引退生活の人々のようですし、高齢者が多いせいか街に活気が感じられません。
失敗したかなと思ったのが、オステンドからデ・パネまでの半分も進む頃には、もはや悲しい確信に変わっていました。そんなこと、他の二人には言えませんが、後から話してみればなんであのトラムに乗ったの???と、疑問系を装った批判がやんわりと。
私にとっては、途中、第二次大戦時のドイツ軍が築いた海岸防衛陣地の跡を電車から垣間みたことが、唯一の収穫でした。また行くことは無いかもしれませんが、フランスのノルマンディー海岸などにもあるようで、ちらっと見ただけながらもその当時のままかと推察されたので、他でその機会があったら見る価値はあると判断しました。

オステンドからのトラム

↑15分おきと頻繁に出ているトラム。でも、あまり観光には用無しかな?

そんな私の想いは別にして、淡々と走るトラム。それにしてもゆっくりだ。
それぞれの席に無言で座り、実に1時間半近くを費やして到着したデ・パネ。ここもまたリゾート地であり、第一次世界大戦ではベルギー王室がブリュセルから退避してこの街に居たとかで、期待させるものがありました。美味しいものが食べられるかなーと。
そんな期待を打ち砕く、人影もまばらなデ・パネの市街地。鉄道駅まで行くと何も無いとは本で読んでいたので、もはやここが最後のチャンスですが、どうにもトラムを降りる決心がつきません。
そして通り過ぎる街の中心部。その先には遊園地がありましたが、停まる車がこれまたまばら。なんだか寂しい所に来てしまったなーと思っていると、もはやトラムのお客も私達3人以外にはほとんど居ないし。
で、終着駅はそれこそ何も無い、デ・パネの鉄道駅
こんなのを読んでも、それでもトラムに乗って行ってみようかという方がいましたら、どうぞ夏にしてみて下さい。そうしたら、素晴らしい面が見れるかも?

もうお昼時は外しつつ有るのに、駅の回りを見回したって何もありはせず。ではどうしようといっても、何の計画もこれまた無し。と、途方に暮れつつも、時間だけは空いた分あるわけで、それじゃあ何処か行ってみましょうか。
やおら取り出すガイドブック。それと駅の鉄道路線図とを照らし合わせ、決めた行き先がコルトレイク(Kortreijk)。
この時、実際にはこの街のことが載っている「ベルギーの田舎町」(旅名人ブックス73)は宿に置いてきてしまっており、ガイドブックだと地図に町の名前があるだけでした。でもですよ、随分と楽しみにして「ベルギーの田舎町」に何度も目を通していたので、見所などを覚えていたわけではありませんが、良い街だった筈と頭の中で訴える声が。

コルトレイクの鐘楼

↑コルトレイクのマルクト広場に建つ鐘楼。風情があるでしょ。

腹を減らした相棒達が、ぶつぶつと違う訴えを、一応は遠慮しながらも口にするのをなだめすかしつつ電車での移動です。下調べをしていないので、ディスクムード(Diakmujde)での乗り換えでは、隣のホームに既に準備完了で発車を待つコルトレイク方面への電車へと走り、ホームの係員に間違いないとは思いつつも確認する私。乗り換えた後は、もう着くかなと訊いてくる相棒に
「そうだね、もうそろそろかな。」
と、その度に答える。そうです、私はこの日、正しく添乗員と化しました。
そして、優秀な添乗員であることを見事に証明したのです
古くはローマ植民都市であるコルトリアクムに起源をもち、フランドルの中心都市の一つとしてフランスの圧政へと叛旗を翻す戦いに参加したという、リネン産業で名を馳せた、栄えある街。見栄えのする教会もあれば、世界遺産に登録されたペギン会の修道院もあります。それらを見にやってくる団体客だって
街のヘソとなるマルクト広場、そしてその回りにあるレストランと、お約束通りの展開も。やはりこうでないとという、求めるものが得られる幸せというか、この時は安堵。
もっとも、ここコルトレイクもまた、あちこち工事中ではありましたが。

ローゼンバッハ

↑コルトレイクから近いルーセレーラに醸造所があるローゼンバッハの、これはクラシック

コルトレイクの食事

↑海の物を食べると決めていたのでエビをいただきました。大きくてプリプリでした。

コルトレイクまで、デ・パネからは乗り換えが一度ありましたが、接続はばっちりで、所要時間は1時間をし少し超える程度でしたでしょうか。
ブルージュへ戻るのには直通の電車があり、やはり1時間程度だったと記憶しています。ローカルの各駅停車でしたが、主要幹線では概ね急行(IC=インターシティー)を利用するところ、ローカル線では急行の本数が少ないとか行き先が合わないとかで、各駅停車の利用が多くなります。
列車の編成が短いうえに、一両毎の長さがあまりなくて座席数が少ないので、ローカル線のくせに混むなーと感じます。それに、現地の人に大きな身体でゆったりと座られると、随分と座席は狭いものとなってしまいます。ローカル=現地ということで、小さな駅でもそこの住人が降りて席はいずれ空きますが、むしろ空いた電車が当たり前と思っていたので意外な感じがしました。
電車に関して言えば、ローカルはのんびりではあるものの、ゆったりはむしろ幹線なのがベルギーでした。


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