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スポレートでファンタジアに出会う

2016年02月11日 12:28

ファンタジア。懐かしい名前ですね。
ディズニーの映画で、ミッキーマウスが魔法使いになってるやつです。
今は同じディスニーでもスターウォーズの「フォースの覚醒」と、時代が変わったな
と感じます。そして、ディズニーはその興行収入で大幅増益とか。

まあ、それは置いておいて、スポレートって何処? という方も多いのでは。
かくいう私達も、度々登場する、宮下先生の本「宮下孝晴の徹底イタリア美術案内」で
初めて知った次第。
前の晩に泊まったペルージアからアッシジへは、ほぼ東へ僅か20キロ程度。
そこから南へ50キロほどとなりますが、高速道路は途中までで、30キロほどは
一般国道。もっとも、スイスイと流れますから心配はありません。
駐車場も街に入っていけば、なんとなく教会前の広場に至り、そこに停められます。
つまりは、その程度のそれ程には大きくない街。大都会が苦手な私達には丁度良い
田舎町の部類。
そうはいっても、ローマ時代の遺跡もあれば、初期キリスト教の教会もありで、訪れる
価値は高いですよ。

ローマの遺構、円形劇場は、その脇にあって円形劇場を見下ろす位置でお茶を出来る
場所が。室内ですから、多少寒い時期でもOKです。
その隣にはスポーツ競技場があり、その日は丁度サッカーの試合をやっていました。
「ピッピッピピピー、スポーレート」と応援の声が聞こえてきます。イタリアのサッカー
リーグはセリアAを頂点に、日本と同様に2部リーグや3部リーグもあるかと思います
が、まあ下部リーグなのでしょう、競技場の規模も観衆の数もそれなり。でも、なんだか
微笑ましくも、この大きくない田舎の街にはぴったりという感じで、のどかな気分に
浸ることが出来ました。

さて、このスポレートも山がちなイタリア半島部の他の都市と同様、坂の街。
日本の戦国時代さながら、長年に渡って数々の自由都市や教皇との間で戦いが、街と人
産業と財の奪い合いが続いたイタリアですから、防御上で有利な山の上に城が、それを
囲うようにして街が形成されたものでしょう。
日本では信長、秀吉を経て家康と、戦国時代の終わりとともに、山の上の城がやがては
平地の平城へと、防御よりも経済優先の立地へと変わりましたが、なにしろイタリアが
統一国家となるのは19世紀。山がちな地勢もありますが、歴史って人々の生活に大きく
影響するものです。
大聖堂へは坂を登って行きます。それにしても人がほとんど居ない。
石畳の細い坂道。両側には数階建てのレンガの建物が並んでいますので、薄暗いとまで
ではありませんが、あまり明るい雰囲気ではありません。ごく普通の住宅地といった
ところで、これといったお店もありませんし。
と、視界が広がるその先に大聖堂が見えます。ずっと登ってきた坂道から、大聖堂へは
むしろ少し下るつくりです。大聖堂の前には広い空間があって、なんだか大きな舞台
のその奥に大道具さんの素晴らしい手作業になる舞台装置のように、大聖堂は建って
います。
聳えるという表現は高〜いゴッシク式様式にはぴったりでしょうが、ロマネスク様式で
あるスポレートの教会については、建っている、あるいは鎮座ましましているという
のが実感でした。
それにしても、実に素晴らしい演出と思えました。いささか暗めの街中の坂を登りきった
ところで、一気に広がる視界。そそて目に飛び込んでくる教会。そこへ向けて、舞台の
ような広場の奥へと緩やかなスロープを下ってのアプローチ。そのような立地の教会に、
少なくとも私達は出会ったことがなく、これが初めてでした(その後にもありませんが)。
で、どこからやってきたのか、それ程大勢ではありませんが、他にも観光客を含む教会へ
と向かう人々。
それらの人々と一緒に教会内に入ると、これまた初めて。
そうです。私にとってはそれはファンタジア以外の何物でもない。フィリッポ・リッピ
の作となる、後陣に描かれた「マリアの生涯」の大壁画。
ソフトな画風と鮮やかな色合い。やや漫画的、といっても勿論のこと上質な。厳しいことは
なく、親しみやすい。うーん、いいねー。
いささか暗い教会内の、それも日が当たらい壁とて、小銭を入れて照明を当てる。すると、
その光のおかげでファンタジア感が一層増すという、これは意図的な演出か?

そのような、劇的で華やかな大聖堂を訪れる一方で、街の外側にある初期キリスト教の教会
であるサン・サルヴァトーレ教会も、是非訪れていただきたいところです。
なにしろ古いので、やや朽ちたところもあります。そもそもが、これといった装飾が無い。
素朴、質素。キリスト教徒でもない私ですが、それでも信仰とうものの原点とはと感じさせ
られます。
建築様式にしても、古代ギリシア・ローマの柱など、長い歴史を感じ取ることが出来ます。

尚、大聖堂以外の街中の主だった教会、サン・グレゴーリオ・マッジョーレ教会、サン・
ポンツィアーノ教会そしてサン・ピエトロ教会といったところは、いずれもロマネスク様式
です。でかくて高くて立派過ぎる教会よりも、ラブリーな教会がお好きならば、その点
でもスポレートはきっと気に入ることでしょう。

そのスポレートを後に、その日の宿に向かいました。適当なホテル、街が見つからず、
高速沿いの宿という、常ならぬ選択でしたが、兎も角も迫る日没を前に、明るいうちに
到着したいなと車を走らせます。
が、ここでやっちまったー!!
私達を追い抜いてく車から、しきりに何か言ってくる。聞こえはしないが、なんだか
伝わる緊迫感というか、ヤバイ雰囲気。
うわー、そうか、ハンドブレーキが降りきってない!
慌てて下ろすが、ちょっと煙がでていませんかって。
国道から高速に入ったばかりのところで、サービスエリアというか、道脇のガソリン
スタンド兼お休み処にピットイン(なんて格好いいもんじゃないけど)。
たちまちよってくるスタンドの店員、だけではないイタリアオヤジ達。親切なのか
単なる野次馬根性か。
未だに出ている白い煙で、何が起きたかをすぐに感知したオヤジ達。が、見るからに
イタリア語が分かるとは思えない私達。そこで、若い男の子に英語で話せよと促す。
そんなに話せないないよといっているのであろうと察するに、もじもじとしてすぐに
は寄ってこない男の子(まあ20代かな)。
兎も角、冷やすしかないね。水をかけて、時間を置いて。まだ、大丈夫だという
ゼスチャーのオヤジ達に囲まれて。いつしか日は没す。

暗い高速道路に戻り、宿を目指す。
それにしても本当に暗い。日本の高速道路と違って照明ってもんが、あるうちに
はいらん。あとどれ位かなと道路地図を見ようとしても、室内灯を点けないと全く
見えない。視力が落ちたわけではなく、暗いんですよ。
でも、思ったのはむしろ日本の方が照明つけ過ぎ。だって、車にはヘッドライトが
あるからそれで十分。室内灯だって何の為にあるのかってなもんで。日本の高速道路
は金かけ過ぎだ。だから有料なんだ。イタリア(あるいは他のヨーロッパの国)にも
一部は有料の道路があるものの、ほとんどは高速道路も無料じゃないか。てなことを
考えていると.....
なんだ、渋滞だ。どうしたんだ?事故か?工事か?
と、その先にあったのは高速道路の合流点。私達はその合流点から北へ向かいました
が、南へ70キロも行けば、イタリアの首都ローマの外環高速道路。
A1の道路地図の表示が示す通りに、高速道路1号線。正に幹線道路中の幹線道路。
時間的にも通勤時間帯で最も混むのでしょうが、きっと毎日繰り広げられている
であろう大渋滞。結構、手前からノロノロ運転でしたから。しかし、それを何とか
しようとするわけでもないのがイタリアってものでしょうか。

なんやかやで、日もとっぷりと暮れてのチェックインとなりました。
英語が通じるはずもないけれど、さすがイタリア、笑顔は最高の宿のご主人に迎え
られ、楽しみ多く、波乱もあった1日が終わったのでした(道路沿いの宿とて、
レストランはなく、隣のピザ屋でもまあそれなりの夕食でしたので、語ることとて
なく)。
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イタリア男は甘いものがお好き  ペルージアのチョコレート祭り

2016年01月21日 16:49

我が家で食後のデザートを所望するのは、断然、私である。決して、カミさんではない。
必ずしも甘いものというわけではないが、特に夕食の後はデザート無しでは済まされない。
食事が終わって、ゆっくりとしていたい、あるいはテレビを見ていたい、と冬だと暖かい
炬燵から離れられないでいるカミさんに、目線を送る。それでも反応が無いと、
「今日のデザートは何かなー?」
と耐えきれずに言葉にしてしまう私。
昨年の健康診断では食生活改善の必要性を指導され、その内容の一つして夕食後のデザート
がどうして食べたいのであれば、せめてカロリーの低いもの。洋菓子より和菓子、あるいは
ゼリーとかと言われ、暫くはまあまあ守ったのの.....

そんな私に、ペルージアのチョコレート祭りで、女性陣よりも断然に真剣なイタリア男達の
姿は、大いなる救いでありました。
それがもー本当に真剣で嬉しそう。あれやこれやと試す、注文する。次から次へと食べる。
何やら評価し解説しているようであるが、それも他のものを更に食する為の理由付け以外の
なにものでもあるまい。連れの女性に、誘い文句や甘い囁きを速射砲のようにまくし立てる
その勢いそのままに、しゃべりにしゃべる。
それこそイタリア男の真骨頂。
そして、また次の一品へと。
第一、チョコレート祭りなんて、イタリアならではでしょう。
幾つものテントが連なり、数多くのチョコレート会社が自慢の品々を宣伝しています。
それこそ色取り取り。そして様々なチョコレート製品が並んでいます。もう寒い季節ですが、
きっと彼らは寒さなど微塵も感じていないことでしょう。それどころではない、熱狂の渦
と化しています。

ここペルージアの名前はサッカーの中田英俊さんのおかげで知るようになりましたが、
日本人の場合、多くの方がそうなのではないでしょうか。
他のイタリアの諸都市同様、美しい街並み、教会や宗教芸術そして地方色豊かな食。
旅行者を魅了する要素は全て揃っていますが、知名度は低い街であったのが、一躍知られる
ところとなりましたね。
そんな具合の私達でしたので、宿の予約を取る段になって、チョコレート祭りのことを
知りました。そうです、予約のメールを送ったホテルからのメール返信で。
しかし、これがまたイタリアだなーと思わせる、イタリア語のメール。こちらはイタリア語
は不案内ですから、一応は使える英語でメールを送ったのですが、こちらのイタリア語能力
など全く意に介さないようです。
何とかイタリア語の辞書で調べて、チョコレート祭りで満室だもんでご免ねという、実に
残念というか困った回答であることが判明。急ぎ、他のホテルを当たってなんとか宿を確保
しました。
それにしても、ペルージアも他のイタリアの都市と同様、旧市街は決して広くなくホテルも
あまり無い。確保出来たホテルは旧市街の城門からはいささか歩く必要があり、どうやら
10分まではかからないようだがといった立地。
まあ致し方なしでありましたが、ペルージアの街自体が山の中というか、山の上にあるもの
ですから、街へのアプローチが分かり辛くて苦労しました。高速を降りてから表示に従って
いくと、いつの間にやら賑やかな界隈にと到着するのですが、それは鉄道駅近辺。
これは街の西側となるので、私達が目指した街の南側とは全く異なる所に来てしまっている
ことが判明。現地で買い求めた道路地図には、ペルージアも含めたそれ相当の規模の街の
市街図も載っているので、それと予約したホテルのことが載っているガイドブックを
引っ張り出して、車から降りて現在位置を確認してと、ナビゲーター役の私は全能力を傾け
なければなりませんでした。

そんなペルージアでしたが、イタリア旅行中に何度も感じたことの一コマがここでも。
それは夕食の際のことでした。これはと思うレストランに入ったのですが、その日は
パーティーの予約があってねというのです。
しかし、私達が困った顔をしていると、まだパーティーまでは時間があるので、それまで
の時間でいいのであればと入れてくれました。それまでに一時間程度はありましたので、
2時間コースも当たり前というのからすれば短いものの、食事時間としては十分でした
ので、お言葉に甘えて入れさせていただきました。
昨今、マニュアルばやり、あるいはチェーン店化により、融通の利かない飲食店が多い
日本とは大違い。個人経営のお店が多いところ、ごく自然なホスピタリティーを感じ
させてくれます。ここペルージア以外でも度々お目にかかることが出来ましたので、
都度に紹介していきたいと思います。
ところで、ペルージアは決してそんなに小さな街ではないのですが、レストランはそんなに
多く目にしませんでしたので、助かりました。街の南側から入って、途中から階段を上って
いくと街の中心。決して場所的に外したつもりはありませんが、もしかしたら街の西側、
くだんの鉄道駅の近辺の方が栄えているのかもしれません。
鉄道駅がある方はどちらかというと新市街となることでしょう。私達はそちらの方へは
行っていませんが、鉄道で旅をしている方だと詳しいでしょうか。そのような方達の情報
もどうぞご参照あれ。
ちなみに、ごく稀にやってしまうのですが、この日のメイン料理は外してしまいました。
キドニー料理に挑戦したのですが、細かなものがスープ全体にというもので、いささか
内臓臭さが強く閉口しました。レストラン自体は良いもので当たりでしたので、特に残念
な思いが強くしました。
食事は時に冒険ですが、外れると悲しい。
でも、当たりの方が断然多いので、これからも冒険し続けますよ。

あとは、やはり夏時間と冬時間の境目は要注意ですね(逆も含めて)。
そうだと解っていたはずなのに、私はやってしまいました。朝、早々と目覚め、食堂へと
降り立ったのですが。あれー、まだ全然用意が出来てないじゃないの。
って、そりゃー1時間違ってますから。部屋に戻って、なんだかまださーという私に
カミさんは呆れてました。
何だか、いよいよ腹が減ってきて寂しさがひとしお。寒い朝の空気が身に染みる思いの
私でした。

シーッ(静かに) アッシージ

2016年01月19日 12:43

遠目からもはっかりと見えるアッシージ、あるいはサン・フランチェスコ教会。
高台の街を目指して車は坂を登る。
それなりに朝の早い時間にもかかわらず、私達の前にも後ろにも車。続々と詰めかける
観光客の群れ。街の外縁部、オリーブ畑に縁取られた駐車場が、あちらにもこちらにも。
そこにも既に先客が。
清貧をもってなる聖フランチェスコ様、そしてフランチェスコ会。しかし、立派な教会を
建てたものだから、世界中から観光客がやってくる。そんなこと狙っていたわけはない
でしょうが、信心深き人たちが訪れるのならば.....

うーん、正直言って、私は特に信心深いとは言えない。
ここにやって来たのも観光ですから。高名なジョットの、聖フランチェスコの生涯の壁画
を見に来たのですから。神をキリスト教を特に肯定も否定もしない、ただその素晴らしい
宗教芸術を、教会の建物とともに愛でに来た身。
それでも慈悲深く、心の広い聖フランチェスコ様は受け入れてくれるでしょう。
但し、五月蝿いおしゃべりは禁止。
しかし、ついつい、この絵の意味はとか話しだしてしまう。夫婦で親子で、恋人や友人同士
様々な関係の人たちがしゃべる。あちらでもことらでも。教会の中にそれらの声がくぐもり
つつも響く。
何しろ大勢ですから、それぞれの人は小声のつもりでも、それが幾重にも重なるといささか
五月蝿い。5分かそこらおきに、シーッと教会の方が。

上院と呼ばれる、ジョットの壁画のある明るい上の階から、聖フランチェスコ様の遺骸が
祀られた下院のほの暗い空間へと降りると、喧騒も無くなり別世界。
古の聖人への思いを、キリスト教徒ではないながらもそれなりに抱きます。
観光客ではあるけれど、最初に聖フランチェスコ様が修行したサンタ・マリア・デッリ・
アンジェラ教会にも、また聖フランチェスコ様をしたって女性で修道院を開いた聖キアーナ
のサンタ・キアーラ教会にもちゃんと行きましたよ。

しかし、所詮は俗人。食べるの大好きな私。
アッシージ一番の思い出はやっぱり食。というか、そのロケーション。
車では街の西側から、高速を降り、鉄道をまたいで着きましたが、その西側のテラス席での
食事は何よりの思い出。
季節柄、風はやや冷たい感じもありましたが、天気に恵まれて陽光を浴びながら、高台から
見下ろす素晴らしき風景。トスカーナの肥沃な土地が広がっています。そこここに、ちょっと
した集落が、作物のある緑と収穫の終わった茶色と、織りなす畑の間に点在しています。
牛や羊などの群れが、遠目にもくつろいでいるようで微笑ましい。
車を停めた駐車場から聖フランチェスコ教会へ向かう途中のレストランで、しっかりと教会
へ行く前にチェック済み(教会の少し手前、街の縁を歩いて行けば自ずと分かる立地です)。
カミさんが見つけ、テラス席もガラス越しに確認出来て、ここでお昼を食べようねと決めて
いました。
信心より食欲。済みませんが、正直者とお許しのほどを。
でも、本当にお薦めですよ。バカンス気分に浸りきれること請け合い。イタリアのこと
ですので、何年経ったって変わることなくそこにあり続けるでしょうから、宜しければ
ボナ・ペティート。


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